こころの電話 金沢 《今昔物語》

〜紡いできた糸を一本一本辿ってみました〜

記事一覧
負い目かな・・・? 2018.3.寄稿 林 雅子
「こころの電話 金沢」と私 2018.3.寄稿 野口 真知子
「こころの電話 金沢」の想い出 2017.9.寄稿 白井 治代
こころの電話 金沢との出会い 2017.9.寄稿 山田 千賀子
今昔物語に寄せて 2017.2.寄稿 久間 久惠
電話相談「もしもし 金沢」から 2016.8.31寄稿 深海 なるみ
こころの電話 金沢との出会い 2016.1.31寄稿 橋都 久
交流会を想う 2015.11.23寄稿 大澤 章子
フレンドリーコールを始めたころ 2015.9.7寄稿 鷲巣 栄一
もしもし金沢の会の旗揚げ 2015.9.1寄稿 寺本暢夫


負い目かな・・・?

2018.3.寄稿  林 雅子

ガラポン当選一期生の林です。でも現在の私は当番活動をしていない不良会員。3か月に1,2度の会計の手伝いで活動室に行くくらいなのです。
 この活動のスタートは、区役所からの『おしゃべりサロン・電話カウンセラー養成講座』の募集。「ちょっと面白そう!おしゃべりは嫌いじゃないし、、、」と申し込み、16回の研修を受講。進んでいくうちに、単なるおしゃべりではなく傾聴であることを知ります。その時の振り返り用紙は今も健在。人間関係に行き詰った時に“自分について気づいた事”を読み返すと、とても効果的です。いかにありがたい研修であったかと、、、。その後『もしもし金沢』として月に一回の電話相談活動(月曜日のみが相談日)が始まります。
傾聴の大切さがわかり始め、さらなる研修の大切さを実感しました。この頃は、活動はいつまで続けられるのだろうか?区役所のサポートが無くなったら消滅、、、もしかしたら各々が家で相談電話したりしてなんて話したことも、懐かしい思い出です。(こんなに立派に続けているのにね!)
『こころの電話』になり会員数も増え活動も広がり事務的な仕事も多くなっていきました。バザーも重要な資金源との事でしたが、負担も大きくなっていったように思います。会を維持していくためには補助金が必要、そのためには新たな活動を、、、とも話し合われました。ボランティアにお金というのも私には抵抗がありました。
また傾聴という点でも行き詰っていました。相談者の方には何年も続いている方も多く私自身が知り合いのように感じてしまい緊張感が薄れていました。ガードが甘くなり息苦しくも感じたことから、しばらく休会することにしました。
会から離れたら離れたで、何も変わらずに時は過ぎました。けれど長年にわたり活動を続けている会員の皆様への敬意はずっと持っていました。離脱してしまったことへの負い目もあり、なんとなく会を見つめていたいという状況でしょうか?(本当は気になっていた、、、?)
その後会計の手が不足ということで、休会の要因であった事務の手伝いに入ることになりました。活動旅費の集計をしていると、会員の皆様の大変さが感じられ、せめてこの活動だけは続けなくてはと思っている現在の私です。宜しくお願い致します。


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「こころの電話金沢」と私

2018.3.寄稿  野口 真知子

 1994年夏、当時は「みはらし会館」と呼んでいた長浜、堀口地区の町内会館で数人の中高年がワープロを前に少々緊張して座って居ました。
 「高齢者(65歳以上)」への電話による安否確のボランティアをというお誘いを渡邊芙美江さん(前理事長)から頂いたのは、生涯学習の会「さんゆう会」で配食サービスのお手伝いをしていた頃でした。
下の子が小学校2年生の時から始めた音声訳のボランティア、二人の子供の学校の役員、身体の不調を訴えるようになっていた義母、それなりに忙しくして居りましたが、意欲に溢れ体力にも自信のあったアラフォー(当時はこんな言葉もありませんでしたが)自分には無縁と思っていたワープロも学べるというので勇んでお仲間に入れて頂きました。それが四半世紀近くもかかわる事になるとは。
 中学、高校の頃からバスの中やお茶のお稽古などで高齢の方とお話しするのは好きでした。ですから、お会いしたこともない高齢者にお電話するということにあまり違和感はなかったのですが、先方は世代の違う者の電話に戸惑っていらしたかも知れません。
 ワープロ講習の他に高齢者の心理などの研修を受けて「フレンドリーコール」の電話訪問が本格的に始まりました。 NTT金沢営業所の一室をお借りし、後にはプレハブ一棟借り受け活動することになりました。この事に限らず、渡辺芙美江さんの人脈の大きさには驚嘆するばかりです。
 まだ介護保険開始前のことでしたから、ケアマネージャも包括支援センターもなく、生活面、健康面での不安を抱えた方が相談する場所は区役所、保健所などでした。
 そのころ区役所からのご紹介で(だったと思うのですが)電話訪問の会員となって下さった方で当時64歳、肺気腫の持病を持たれた男性がいらっしゃいました。彼は世の中全般に不満を持ち、ご自身の体調不良と相まって、お電話をするとその怒りをぶつけて来られるのです。毎回お気持ちの済むまで1時間、2時間とお話しを伺いました。訓練不足の身で、ひたすら聴くことしか出来ませんでしたがあれも傾聴だったのかも知れないと思っています。年を重ねた今になってあの方の不安なお気持ちが少しわかってきたような気がします。
 こうして書き綴って来て、私にとっての「こころの電話」はやはり「訪問」なのだと実感致しました。昨今は電話訪問の希望者も減って寂しい限りですが、これは社会的支援が当時よりは充実して来た事の証として喜ぶべきことなのでしょう。
これからは自身の老後を心配しなくてはと思って居るところです。


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「こころの電話 金沢」の想い出

2017.9.寄稿  白井 治代

私は第一期生として金沢区役所の募集に応募しました。参加申し込み多数で抽選になり運よく当選し、「もしもし 金沢」として出発しました。
「もしもし 金沢」の研修を終えNTTのプレハブの建物で電話相談を開始。実際に電話相談の電話を受けてみますと、今までの生活、研修を受けた事をはるかに超えた現実に向き合う事になりました。電話を受けた日は帰宅しても家族と会話するのさえいやな程疲れ、これが3か月位続いた事を思い出しました。それまでは、PTAの役員、民生委員等を経験し相談にのり指針を話すことが多かったのですが、傾聴はただひたすら聴き共感する事に徹する。なかなか難しくて大変でした。
電話相談も少し慣れた時に若い女の方に「あなたは素人のくせに電話相談するとは何事か。例えば大学の先生とか専門の先生ならともかく素人はダメだ、腐ったみかんが箱の中に一つあると全部が腐るからやめろ」とお叱りを受けた時は本当にショックでした。「私達も研修を受けているよ」と思わず返答をしました。今ならもう少し言葉も思いつくのですが、その時はまだ若くゆとりもなくむきになり傾聴ができていませんでした。
心が折れて会を辞めようと思いましたが、会員の方に励まされなんとか続ける事が出来ました。その後、仕事に就き7年間「こころの電話」を離れることになりました。傾聴を学んだ事は仕事に大いに役立ちました。退職後会に復帰しましたが電話相談のトラウマがあり、少しだけ電話訪問を手伝いました。その後は訪問部に席を置きました。
訪問は3年間同じ利用者さんの所に参りました。彼女は体が弱く高齢で独身の方でした。外出をよしとせずご自身に規制しているように見受けられました。屋外にあまり出ませんので、月2回の訪問を楽しみになさっていたようです。訪問は顔と顔が向きあい話ができますので訪問期間が長くなるほど、親しく信頼関係も深くなり、精神面・生活面などの依存が私達に強くなるように感じました。
信頼関係が深まりまして、利用者さんとの別れがお互いつらいと感じました。利用者さんからは「友人として付き合って欲しい」と懇願されましたが、会からの派遣なので友人とはなれないと申し上げたところ「冷たい」と言われました。どこで線を引くかが大変難しく思います。
「こころの電話」で良き友人に出会い、体験できたこと感謝します。
皆様の健康とますます「こころの電話 金沢」のご発展をお祈りします。


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こころの電話 金沢との出会い

2017.9.寄稿  山田 千賀子

朝日新聞横浜版(1995年)「金沢フレンドリーコール」の記事が目に留まりました。
以前から金沢区で出来るボランティアが何かないだろうかと思っていたところでしたので、
さっそく当時の活動拠点であったNTT金沢営業所の一室に出向き、活動内容等いろいろと伺いました。
会員登録されている一人暮らしのお年寄りの方に週に一度(水曜日)「お元気ですか?」と電話をかけ、健康状態の把握や日常のお話をお聴きする電話ボランティアで、会員の方々は毎週電話を楽しみに待っていらっしゃるとの事でした。
2台の電話で午前・午後と大勢の会員の方々に電話をかけていたように思います。
私に出来るかな・・・という思いと、でも関わってみたいという思いがあり、活動に参加させていただくことになりました。
その頃、「もしもし金沢」の一期生の研修が終了し「金沢フレンドリーコール」のボランティアから2名が一期生のメンバーに加わりました。私もその中の一人でした。
こうして1997年12月から「もしもし金沢」の電話相談が始まりました。当初は電話相談員の人数も少なく、活動の曜日も限られていました。
その後いきいきセンター金沢に活動場所が移り、「金沢フレンドリーコール」「もしもし金沢」「海の会」「虹の会」の一部が合併し、「こころの電話金沢」としてスタートし、相談員の養成講座を開き、年々相談員の数も増えていきました。また、相談員の資質向上のため定期的に研修を行ったり、地域の方々に向けて公開講座を開催してきました。
私は表の電話相談にしか関わっていませんでしたが、理事長はじめ、立ち上げに関わった方々は、行政・地域・他団体との話し合いや活動場所決定等、多々ご苦労があったことと思います。多くの積み重ねがあって現在の「NPO法人こころの電話金沢」があると思います。
感謝でいっぱいです。
そして今、「こころの電話金沢」は仲間にも恵まれ、私の居心地の良い場所の一つです。

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パートU



今昔物語に寄せて

2017.2.寄稿  久間 久惠

精神障害者の作業所、今は NPO 法人「海の会」が運営する法内施設、 横浜市地域活動支援センターと呼ばれる「すぺーす海」に通所されている方からの 電話相談が多く、職員がその対応に時間を取られ、本来の仕事に支障をきたすことが、 1991年の「海の会」立ち上げからかかわっていた私は大変気になっておりました。

それで電話相談を海の会ボランティアでやろうということになり、 場所も助成金を頂き研修もして、 1995 年海の会の事業として「ホットラインこんにちは」と銘打って 電話相談・面接を精神障害者の方を対象に始めました。
その後現在は中途障害者の方々の施設「ライブアップ金沢」となっています。

いきいきセンターに移る前のボランティアセンターがあった場所で、 訪問電話の「金沢フレンドリーコール」と「ホットライン こんにちは」が そこで電話を使ってのボランティア活動を続けることとなりました。
1999 年より区役所主導で始まった電話相談「もしもし金沢」と「虹の会」が 行っていた不登校・ひきこもりに対応する電話相談、 これら4つの電話相談事業が一つにまとまり 「こころの電話 金沢」として活動することとなりました。

その後も行政の支援を得、補助金獲得の為、皆で知恵と力を出し合いました。
毎年同じことをやっていては助成を受けられないので、 反対もありましたが、事業的には拡大するよう行政からのアドバイスも頂き、 電話訪問だけでなく、居宅訪問、ミニサロン・健康麻雀・オカリナ・写経といった ハッピーチャレンジ教室も運営するようになりました。
初め反対もあった健康麻雀は収入の少ない我が会にとって バザーと共に大きな収入源となっています。
会の運営を考える時、収入と支出のバランスを考えてゆかねばなりません。

会員一人ひとりの大きな働き、気配りで会が運営でき、 仲間として共に活動が出来ている事に感謝と喜びを感じています。
途中で「やーめた」とは言えない大切な活動であり、 私たち一人ひとりの意識の持ち方が、 これからの活動の内容もそれに伴う私たちの人生も決めると思っています。

どんな人に対しても同じ人間として又この地球にいかされている 人間としての尊厳を大切に愛と優しさを持って 活動を続けて行きたいと思っております。

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電話相談「もしもし 金沢」から
2016.8.31 寄稿 深海 なるみ

1997年の多分3月のある日、立ち寄った旧金沢区役所・1階の掲示板にメモ書きの「電話カウンセラー募集」という張り紙がありました。
金沢区地域福祉課とありましたので、窓口に行き、正式なチラシは、これから作成し掲示するということでしたが、申し込みました。
電話カウンセラー研修は、1997年7月から始まり11月まで10回。
抽選で残った30名ほどが厳しい研修を受けました。

12月15日には「もしもし 金沢」として、オープンセレモニーがNTT金沢営業所の別館であり、裏のプレハブ建物で電話相談活動が始まりました。
1999年、「フレンドリーコール金沢」「もしもし 金沢」「海の会」「虹の会」が合併し、現在の【こころの電話 金沢】になりました。

【こころの電話 金沢】の活動を行う上で「傾聴」を重視しています。
「傾聴」の上達を目指しての研修を重ねていますが、益々難しく感じています。
傾聴とは、相手の人の表情、視線、姿勢、声のトーン、言葉の内容、息遣い等、集中して聞くことだといわれています。
電話をするのは、親しい人以外は、それなりに緊張し、勇気がいります。
こちらの体調が悪い時、悩みを抱えている時等々、電話の声には出てしまうと思われます。
かけ手は、どんな思いでこの電話をかけてきているのだろうか、かけ手の心に寄り添って話を聴けただろうかと自分に問うことも多いです。
同じような言葉でも、思いもしなかった、こんな受け取り方があるのだと気づかされることもあります。

リピーターの方も、同じような話の内容でも、確かにほんの少しずつ変わって来ています。
10年以上前に比べたら大きな変化があります。
日常的に、メールが多く使われるようになりました。
メールでは、感情の行き違い等々がよくあるとききます。

電話を受ける私たちは、受けた電話で心が辛く重くなってしまう場合もあります。
日頃の会員同士の相互間のコミュニケーションが大切だと思います。
研修を通して共通認識を持ち、自分の癖や短所を知り、お互いに支えあい、補いあえるような関係作りがのぞまれます。
この20年近くを改めて振り返る時、私は【こころの電話 金沢】の活動を続ける中で、友人、知人に、暖かく見守って支えていただき、学生時代の同窓生も応援、協力をして下さっていること感じています。

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こころの電話 金沢との出会い

2016.1.31寄稿  橋都 久

現在の場所に新居を構えて10ヶ月ごろ金沢区の広報に電話相談員養成講座募集の
記事を見て応募したと記憶しています。第二の就職先を62歳で定年退職し、
次の就職先が非常勤で週に2〜3回出社すれば良い勤務でしたので時間に
余裕が出来たのと、地域に対する貢献?というより好奇心の方が先かもしれません。

その時期、地元自治会の役員や横濱金沢シティガイドの養成講座も同時に受講していました。
まだ50代の現役の頃前に住んでいた栄区のマンションの住宅
管理組合の理事長や財団法人シニアルネサンス財団のシニアライフアドバイザー
の資格を取得しました。

電話相談員養成講座は70人を越える応募があり1999年9月〜11月まで16回
養成講座を受講して最終的には33人が合格しました(これが二期生の誕生です)。
男性は私を含め2名でした。電話相談はシニアルネサンス財団で一人暮らしの高齢者を
対象にした電話相談(日当が10時〜16時で5000円でした)
また、NPO法人関東シニアライフアドバイザー協会では春と秋に全国一斉特設電話相談
{シニアの悩み110番} を経験しました。

私がこころの電話 金沢で電話相談のボランティアを始めた2000年(平成12年)に
介護保険制度がスタートしました。介護保険制度は、利用者が介護サービスや事
業者を適切に選択し、事業者と契約を結んでサービスを利用するしくみです。
平成18年にスターとした「介護サービス情報の公表」制度の講習を受け調査員になり
昨年まで神奈川県内 東は川崎、西は箱根町、南は三浦三崎、北は相模湖の近くの
事業所を9年間調査しました。

その間平成23年には神奈川県内の介護相談員講習を受け相談員となり川崎市と
横浜市南区のグループホームを訪問、横須賀市と横浜市青葉区のデイサービス
訪問相談を受けました。現在はSLA神奈川(SLAはシニアライフアドバイザーの略)
南横浜グループの世話人をしています。当グループのテーマは「終の棲家の選択」と
「介護保険サービスの種類とその内容」を、いきいき金沢助成金を受け区役所・
地区センターの要請や地域の自治会・老人クラブや企業OB会等で説明・相談会等、
活動をしています。
最後に@地域包括ケアシステムの構築について、団塊の世代が75歳以上となる
2025年を目処に、重要な要介護状態となっても住み慣れた地域で自分らしい暮らしを
人生の最後まで続けることができるよう、医療・介護・予防・住まい・生活支援が
一体的に提供される地域包括システムの構築を実現。A費用負担の公平化、
低所得者の保険料軽減を充実。また、保険料上昇を出来るかぎり抑えるため、
所得や資格の有る人の利用負担を、以上の@とAをあわせた介護保険制度改正が行われます。
これらの背景を考え生活支援サービスの充実が重要になり、ますますNPOやボランティアの
出番が増えてきます。

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交流会を想う   

2015.11.23寄稿  大澤 章子

☆電話訪問の始まり☆
1994年度、区役所は「高齢者安否確認事業」として、毎日の“ヤクルト配布と声かけ”
を業者に依頼しました。残念なことに、一週間分の届けであったり玄関先におかれたりと
充分に機能されませんでした。当時民生委員・東部地区社協に係っていらした渡邊理事長の
ご友人の前田様、鷲巣様の企画を以って区役所に提案、実行されることになりました。
生涯学習グループの活動の一つに、町内会館でご近所の一人暮らしの方へ月2回お昼用に
手作り弁当を届けていた“さんゆう会”にも誘いがあり、参加することになりました。

パソコンも初めて触れ、人様と寄り添った会話とは…等々 富士通のインストラクター、
芦名研究所の方々のご指導のもと1995年12月NTT金沢営業所内の職員休憩室を拠点に
活動が開始されました。

……フレンドリーコール開始記念セレモニーの料理は“さんゆう会”が担当したのでーす……

☆交流会の始まり☆
人生の先輩方からお話を伺えて、お元気な日常に触れられる活動は、とても楽しく有意義に
思えます。順調な滑り出しでした。1年を経過して、区政?の記念行事の一つとして会員の
皆様と一 同?に会する交流会が持たれることに成りました。日頃声だけのお付き合いなので、
お互いを見知ると話の中身もぐんと深められると期待されたからです。集いでは私たちが舞台に
立ち、“もしもしフレンドリーコールの○○です”と。この声誰でしょうといったゲームも致
しました。もちろん大盛況…大概の方が当てられたのですよしました。もちろん大盛況…
大概の方が当てられたのですよ。

交流会の成果は期待以上でした。楽しく過ごせた、お顔が解かってお話が出来ると以前より
安心と感想をお聞かせいただき、お互いの家族の様子の話や、お出かけのお土産話など
身近なお話として受け止められる様になりました。

こうして交流会は毎年恒例の事業として企画され、区民へのアピールも担うことになりました。
会員の高齢や企画者側の負担を考えると致し方の無い流れなのでしょうがーーー

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パートT


フレンドリーコールを始めたころ

2015,9,7 鷲巣 栄一

「一人暮らしのお年寄りに電話をかけて、元気でいるかどうかを尋ねる」ボランティアを
したい人がいるが、プログラムを作ってくれないかという電話があったのは、私がNTT
から富士通へ転職して4年ほど経ったときで、依頼主は社団法人電気通信協会の前田勲治
さんでした。

 前田さんは渡辺芙美江理事長さんの近くに住んでいて、合唱サークルの仲間でもあった
ことから、渡辺さんから依頼された話を私に持ってきたのでした。渡辺さんともお会いし、
配食サービスの会員の方々、つまり一人暮らしの高齢者を対象に「お元気ですか」と電話を
かけて安否を確認する社会的チャレンジ活動である「フレンドリーコール」構想を伺い、
お手伝いをすることになりました。このあたりの話とかその後の活動については、渡辺さん
の記録に詳しく紹介されています。

 渡辺さんの希望はコンピュータで電話を掛けたり記録を取ったり、報告書も作りたいと
いうものでした。当時富士通から発売されたオアシスというワープロ専用機に電話ダイヤル
機能とデータベース作成機能が搭載されていたことから、これを使ってプログラムを作る
ことになりました。他社のワープロにはこのような機能がなく、オアシスはまさに渡辺さん
のために作られてきたようなものでした。

 ワープロがまだ主婦の方には珍しく、使い方の講習会とかマニュアルの説明会と渡辺さん
が走りまわって準備を進め、金沢区で日本で初めての活動が始まったのです。フレンドリー
コール活動は続き、私も大任を果たすことができました。その後ワープロはパソコンに
変わり、プログラムも介護の経験を折り込んだ新しいソフトになりました。

 介護が始まったころ一番大変だったのは認知症の方の介護で、まだまだ手探りの状態
でした。その羅針盤になりつつあったのが、京都大学の河合隼雄先生を第一人者とする
ユング心理学でした。

現在は、ユング心理学は過去の出来事や原因を説明してくれるが、未来を説明してくれる
のはアドラー心理学だとされています。お金とか身分ではなく、自分が人の役に立っている
と思うとき、未来に向かって生きていく強い力とか希望を持つことができるようです。

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もしもし金沢の会の旗揚げ

2015,9,1 寺本暢夫

そろそろ定年退職も間近になったある日、市の広報紙を見ていたとき、電話サロン・傾聴
研修講座開講の案内が目にとまった。早速区役所の係に問い合わせて、応募した。応募者
多数のため、抽選により30名程度が受講できた。研修は、区役所の会議室で、4か月に
わたって行われた。講師は、小室康平教授(関東学院)とそのスタッフだった。

 研修の後、驚いたことがあった。心理学の本をよく読んだという、とても電話相談活動に
意欲のある同僚(受講中、よく隣席で受講していた)の姿が急になかったのだ。研修後に
行われた講師による面接(試験)で落とされていたと言う。研修の中で、私たちは講師から
「クライアント(相談を持ちかけた人)の話をよく聴くこと(気持ちに寄り添うこと)、
自分の意見や考えを控えること(決して押し付けてはならない)が最も大切である」と
教えられた。多分、彼は、それが苦手だったのかもしれない。残念な思い出である。

 しかし、もう一つ驚かされたことがある。4か月にわたる研修を終えた後、1997年12月
2日区役所会議室で開かれた主催者(区役所)担当課長のお話である。「ボランティア
とは、自ら志願する。同じ志の人の集まりである。だから、自主的に、自律的に活動し、
会を作り、責任をもって自ら運営していかなければならない。」とのお言葉であった。言葉
そのものは全く正しいものの、電話相談事業をわれわれが自らの責任でやれということは、
研修前・研修中ともに聞いていなかったことである。この席で、みんなから、事のほか
多くの疑問、質問があった。課長からの説明があったが、皆不安になって、目を見合わせ
たりした。

 しかし、ここで、もうやめようという意見は出なかった。全員(面接後、合格と認定
された29人)はグループ研修を受けているうちに自然にグループ意識が芽生え、育って
いたのであった。互いに目を合わせつつ、一つ思いになっていった。ここまで、グループ
として学んできたのだ。不安はあるが、みんなで力を合わせてしっかりグループ作りを
して、ボランティア活動を始めてみようという空気になっていった。

 運営組織を一応つくりあげ、1997年12月15日に、電話相談「もしもし金沢の会」の
オープンセレモニーがNTT金沢支店の裏庭のバラック2階建て倉庫の2階で区役所、区社協
ほか関係者のご来席を得て開催された。「NPO法人こころの電話金沢」の母体の一つである
「もしもし金沢の会」の旗揚げである。この日から、電話相談が始まったのである。

 −私は当日、会の代表として挨拶をさせていただいたが、式の終了後に、当時の区社協
飯島会長から声をかけられ、これからの会の活動に大いに期待している旨の言葉を頂き、
あらためて気持ちを引き締めなおしたことを覚えている―

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